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    第1回 講演記録集
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NPO法人「がん哲学外来」設立シンポジウム 講演記録集
〜時代は何を求めているか〜
   
2009年5月9日
東久留米市民プラザホールにて
   

開会挨拶

 NPO法人「がん哲学外来」の副理事長を務めさせていただいております、日下部と申します。本職は看護の大学院生をしております。今日はお忙しいところ、この会にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
 今日は皆さま、どのような思いでいらっしゃったかをまずお聞きしたいところです。少なくない方が「がん哲学外来とはいったい何だろうか」と考えていらっしゃるのではないかなと思います。言葉を分けて考えてみても、がんというのは普通、位置が違うだけでも全く異なる経過をたどり、治療法も全く違います。ひとくくりにがんといっても非常に多種多様なので、一つひとつは違うもの、違う病気と考えることもできるかもしれません。
 次に、哲学というと広く深いものですよね。私たちは外来というものを対話の場だと考えているのですが、それらを掛け合わせても「がん哲学外来とは何か」という答えは全くないかもしれません。10人いらっしゃれば10通りの回答があるかもしれないのです。
 ここは、私たちがNPO法人の立ち上げに関わり、趣旨書を作るときにもっとも悩んだ部分です。「がん哲学外来」とは、今日お配りしたプログラムの表紙の一番上にも書いてあるような内容なのですが、どう考えられるかによっていろいろな答えがあるのではないかなと思っております。この会が「がん哲学外来」とは何か、法人としてどこに向かうのかということについてみんなで考え、意見を伝えられる場になればと思っております。
 NPO法人「がん哲学外来」は2月に設立いたしました。この会は法人の初めての活動になります。今後またこのようなシンポジウム、セミナー、ニュースレターや本の発行などを行っていきます。もちろん、「がん哲学外来」の開催も含めていきたいと思っております。NPO法人にご関心のある方は、私があちらの方に最後までおりますので、お声がけいただけますと幸いです。
 それでは、「がん哲学外来」とは何かを考え、学ぶ機会ということで皆さまご静聴いただければと思います。
 最後になりますが、会の準備にご尽力いただいた皆さま、ボランティアの方々に心より感謝を申し上げます。今日はよろしくお願いいたします。どうもありがとうございます。

第1部 基調講演

司会 広多 勤(日経メディカル開発編集部長)
講演 「がん哲学外来入門」         樋野 興夫(順天堂大学医学部教授)
    「がん哲学外来に期待するもの」  永山 悦子(毎日新聞科学環境部)

広多 :第1部の司会を務めます広多でございます。第1部は基調講演として2人の方からご講演をいただきます。
 副理事長のご挨拶にもありましたけれども、今日お集まりの皆さんの大半は、「がん哲学外来」とはいったい何だろうと首をかしげながら、この会場にお越しになったのではないでしょうか。私もそんな一人です。
 そこで、最初は「がん哲学外来」の創始者であり、NPO法人の理事長を務めていらっしゃいます順天堂大学教授の樋野興夫さんに、「がん哲学外来」の生い立ちから語っていただきたいと思います。では樋野さん、よろしくお願いいたします。


樋野 :どうもありがとうございました。樋野と申します。今日はこのようにたくさんの人に来ていただいて、どうもありがとうございました。
 さきほど日下部さんも広多さんも紹介されましたけれど、「がん哲学外来」というのは確かに訳がわからないかもしれないですね。そういうことも含めて、どうして「がん哲学外来」ということを計画し、実現できたかということも話していきたいと思います。
 今日は設立記念シンポジウムということで、「時代は何を求めているか」というテーマですけれども、私の本業は「病理学」なんですね。「病理学」の大きな勤めには、顕微鏡で、例えば「がん細胞を診断する」、もう一つは病気で亡くなった人を解剖(「病理解剖」)というものがあります。
 だから、私の本来の仕事は生きた患者を診ないということなのです。若き日から死んだ人しか見ていない。人間、20代、30代の一番若かりしときに解剖ばかりやっていると人生が変わってきます。人生の空しさから出発します。そうするともう地位、名誉、金などもどうでもよくなってしまいます。
 腹の立つ人も「どうせ死ぬんだから」と思うと30秒間怒りが遅くなり、雰囲気が少し変わってきます。30秒がどれほど長いか、家に帰って今日、腹筋運動をされたらいいですよ。
 このように病理学やがんの研究をやりながら、がんを哲学的に考えるという視点を持つようになりました。しかしそれだけでは「がん哲学外来」という言葉は生まれません。それは私自身の育った環境も影響しています。
 私は島根県に生まれました。東京の大学生に島根県の出雲大社などの図やスライドを見せても、何であるのか答えられる人はほとんどいません。出雲大社には因幡の白兎の銅像がありますが、この物語は、兎が本土に帰るときに道がないから、ワニを一列に並べてぴょんぴょん跳んで、あと一歩のところでだましたことを言いました。兎が怒ったワニに皮をむかれて、痛くてヒリヒリして困っているとき、多くの人が通り過ぎていきました。いろいろな治療法を授けられましたが、症状は悪化した。次に大国主命が通りがかり、正しい治療方法を授けたら治ったのです。これが治療の原点です。
 兎は相手をだましたから、ざまあみろということもできますけれど、大国主がしたのは、境遇を問わずに治したということですね。出雲が医療の発祥の地といわれる所以です。
 「『最も剛毅なる者は、最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なる者であるとは、『高き自由の精神』を持って医療に従事する者への普遍的な真理であろう。『他人の苦痛に対する思いやり』は医学・医療の根本である」。
 これは一言でいえば「弱い者いじめをするな」ということであり、「なすべきことをなそうとする愛」ということです。これが島根県のわがふるさとで、私の家はここにあります。全部で38軒の家しかありません。全人口69名です。私の父親は88歳、母親は86歳です。
 私はこういうところで生まれました。住民の多くは75歳以上ですから、100年後の日本を示しています。私の祖父は私が中学校のときに5年間寝たきりになり、母親が在宅で看護しました。在宅医療の原点を若き日から見ていたことになります。
 ここは無医村なんですね。私は体が弱かったので、母親がよく隣の村(鷺浦)の診療所に連れていきました。それで人生3歳にして医者になろうと思ったのです。ところが、病理学という基礎医学に入ったのが一生の不覚と思いました。だから、いつかどこかで「生きた患者」を診たいという気持ちはありました。
 そして、どんな小さな小学校でも卒業式というのがあるんですね、今、中学校は廃校で、小学校は全校生徒を合わせて8名(2009年7月現在)、昨年、『鶴瓶の家族に乾杯!』(2008年6月9日放送:NHK)という番組に出ていました。ラモス(瑠偉)が私の小学校でサッカーをしていましたね。鵜鷺(うさぎ)小学校というんですけれども、「ボーイズ、ビー アンビシャス(Boys,be ambitious)」という言葉を卒業式で来賓の方が言われました。どんな小さな小学校でも来賓は立派なことをしゃべらないと誰が聞いているかわかりません。これが私の原点です


   
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